アンダーソンは読書のBGMに最適

 九割方読んで置いてあった文庫本を読み直す。山田風太郎『同日同刻:太平洋戦争開戦の一日と終戦の十五日』*1。以前、編集者のT氏が熱く語っていらっしゃった一冊である。おもしろい。
 もう一冊、少し軽めのものを。姪が買ってきて読み終えたという阿曽山大噴火『裁判狂時代:喜劇の法廷★傍聴記』*2。あとがきにはこうある。

 そんな数々の裁判を見てて、常に思うのが、被告人は特別変わった人間じゃないってこと。逆に言えば、いつ自分が刑事裁判を受ける側になっても不思議じゃないってことですね。
 被告人の発言を聞いてると、罪を犯したことには賛同できなくても、犯行までのいきさつや動機には、うなずける点はたくさんある。その辺は理解できなくても、経歴なんかを聞いてると、過去にはいたって普通の生活をしてたことが分かる。
 そんな、自分とほとんど変わりのない人間が。一歩踏み越えてしまった瞬間を自ら語るんだから。これほど「人間」ってものを見せつけられる場ってないと思うんだよね。

 大川興業に所属する売れない(失礼!)お笑い芸人だった彼が、一万回におよぶ裁判の傍聴を通じ、自分で手に入れたものの重みを考える。あまりにも有名な『歎異抄』のことば、「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」*3を思い出した。

*1:ちくま文庫、2006。

*2:河出文庫、2007。

*3:『歎異抄』(真宗聖典 p.634)