聞こえるということ
久しぶりに西東京のサークルへ。ここではひたすら聞いて書き取るということに取り組んでおり、教材はNHKのテレビ番組を元にしたDVDを使っている。
聞き取るときには映像を見ずに音だけに集中しているのだが、今日、ある文を聞き取ろうとしていたら「バサッ」というノイズがひどく気になった。映像を確認してみると、部屋の家具に立てかけてあった傘が倒れるときの音だった。
すべての書き取りを終えたあとは全員で映像を確認しているが、不思議なことに今度は傘の倒れる音が全然気にならなかった。どこで傘が倒れるかは覚えており、その音を待ち構えているつもりなのだが、まったく耳に入ってこないのだ。
同じ音を聞いているはずなのに、映像のある/なしで聞こえ方がまるで違う。人間の耳はよくできていて、必要な音を選って聞き取っているわけだ。もちろん、何から何まで聞こえてしまったらうるさくてかなわないことだろう。
しかし、ここで考えてみる。私たちは聞こえるはずのものも実は聞き取っていないのではないか、聞いていると思い込んで聞く耳を持っていないのではないかと。