「宮田文庫」との再会

 午後、鶴見大学の図書館へ。6月にうかがったとき、宮田先生の自身の書き込みが残されている資料を見せていただくことはできないかと無理なお願いをしたところ、それを重く受け止めてくださり、廃棄にストップをかけて僕に連絡を取ってくださったのだそうだ。このような形で資料を譲ることについて図書館の姿勢としてどうだろうかといった議論もされたそうだが、ゴミになってしまうならば研究者に活用してもらった方がよかろうとのことで、今日、おじゃますることになった次第である。関係のみなさんには感謝のことばもない。ただただ、頭が下がるばかりだ。
 地下の書庫に案内していただき、久しぶりに「宮田文庫」と再会する。汗だくになりながら、廃棄予定になっているすべての資料を見る。エスペラントや他の外国語の資料、国語問題に関する資料、また数々の教科書やリーダーなど、必要な人にとってはのどから手の出るようなものもあるのだろうが、僕の興味・関心の範囲でしか選べないのが辛いところ。それでも、Amazonの中くらいの箱で7つ分の資料をいただいて帰ることにした。
 宮田先生が鶴見大学に残された資料のうち約半数が正式な蔵書となり、残りの中から10分の1程度を譲っていただいたことになる。後ろ髪を引かれる思いで書庫に残してきたものは、来週にも本当にゴミになってしまうという。悲しいことだが、すべての資料を残し続けることは現実的なことではなく、致し方のないところなのだろう。むしろ、半数は蔵書として管理されることになり、OPACを通じて世界中から検索できるようになったことをこそ喜びたい。
 最後の最後、本当にぎりぎりのところで先生の筆跡も生々しい数々の貴重な資料を救い出すことができたわけだが、それこそあと一か月遅かったら、すべてはゴミになっていたのだ。この偶然をありがたく思うし、その偶然を生み出した無数の縁の重なりに感謝したい。
 今日、譲っていただいたものは、宮田先生の書き込みのある『教壇の英文法』7冊、同じく『実践英語教育法』7冊、東京高等学校の一覧(今で言う学校要覧)数冊、『英語(中学校用)1』前・中・後、Let's Learn English Book 1〜3、などなど。
 本と本の間に挟まっていた教育大附属中高の名簿から宮田先生のお嬢さんが教育大附属の卒業生だということもわかったし、ちょっとした探偵気分だ。エスペラント資料の中から Miyada-Koiĉi, 1926 と記載された「国際エスペラント協会」の会員証も再び発掘*1。こうなると、気分はもはや現代のシュリーマンである。
 いただいた資料をこの先どう活かしていくか。与えられた課題は大きいが、さまざまなことに感謝しつつ歩みを進めていきたい。

*1:今日の画像はこれ。