りばそんアーカイブズ #4

 報恩講の余韻を一日おいて噛みしめる。日中法要の最後に申し上げた御礼のごあいさつ(御礼言上)は以下の通り。完成稿のないあいさつなので録音を書き起こしてみたが、予定していたことばと思いもよらぬ言い回しとが交錯していて、自分でも驚いた。

御礼言上


 昨日・本日と、蓮光寺報恩講が「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」として厳修されましたことは、私ども蓮光寺門徒一同、大きな喜びとするところでございます。如来の御尊前、宗祖の御影前に、御満座の結願いたしましたことをご報告するにあたりまして、ご出仕くださいました僧侶のみなさま、ご法話・感話をたまわりました先生方に、一言御礼を申し上げます。
 ご法中のみなさまにおかれましては、ご多用のところご出仕くださり懇ろなるお勤めをたまわりまして、まことにありがとうございます。御声明の伝統の中に私どもの歩みのあることを、あらためて痛感した次第でございます。
 ことに昨日の大逮夜法要においては、灯明の照らすもとで堀先生にあげていただいた『御伝鈔』を拝聴し、聖人のご生涯をたずねるとともに、当派に伝わる伝統の儀式の重みを身体全体で受け止めさせていただいたことでございます。
 また、「親鸞聖人讃仰コンサート」におきましては、やなせななさんに美しくまた深い意味の込められた数々の歌をご披露いただき、忘れ得ぬ夕べとなったことでございます。
 本日の日中法要におきましては、一楽先生よりご法話をたまわり、聖人の「愚禿釋親鸞」の名告りを解き明かし、今日もまた新たな聖人に出遇わせていただいたことに感謝申し上げます。私どもが親鸞聖人をお慕い申し上げるところの実相は、私どもとともに今も歩んでくださる方であるということであると痛感した次第でございます。
 また、それに先立ち安冨先生には感話をいただき、お聖教のことばではない学究のことばで語られる他力の教えに、めまいにも似た爽やかな感動を覚えたことでございます。聖人のことばに、現代の闇を破る新たな視座をいただいたものと感謝申し上げます。
 私どもは、毎日がお待ち受け、毎日が御遠忌との願いをつなぎ、本日を迎えました。おかげさまをもちまして、一昼夜にわたる法要があいつとまりました今、みなさま方に対します心からの感謝とともに、新たな責任の私どもの胸に浮かぶことを感じております。それは、まだ見ぬ人に、出遇うこともかなわぬ未来の人に、この願いを引き継いでいくということであります。
 その責めを果たすためにも、私ども蓮光寺門徒一同、聞法精進させていただくことを決意いたしているところでございます。みなさま方におかれましては、変わらぬご指導とご鞭撻をたまわりますようお願い申し上げまして、御礼のごあいさつとさせていただきます。このたびはまことにありがとうございました。


(2011年11月3日 蓮光寺報恩講 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要 御満座において)