往復で30分

 午後、所属寺で総代会と役員総会。震災の年であり御遠忌の年であった2011年を振り返り、次の一歩を踏み出す。夕刻より懇親会。続いて二次会。さらにはもう少し深いところまで。すっかりご馳走になった。
 映画『阪急電車:片道15分の奇跡』を録画しておいたのを見る。これはステロータイプというものを積極的に楽しめばよいのだろうか。好きか嫌いかで言えば、かなり好き。

社会派散歩

 東京の坂を歩く。9時過ぎに西落合にクルマを置き、バスと電車を乗り継いで四ツ谷駅まで。10時を少し過ぎたところでK君・M君と合流する。今年は、まず紀尾井町を中心に麹町・平河町・赤坂見附の辺りを歩くことにした。
 紀尾井町では多層化された人工地盤を残してぽっかりと大きな穴を空けてしまったような土地を見つける。インターネットの力を借り、それが世間を騒がせた「地上げ事件」の跡であることを知ったが、巨大な「マネー」が地形をも変えてしまうことをここでも認識する。
 麹町では、食糧会館が消えてしまっていることに気付いた。食糧会館は全米販(全国米穀販売事業協同組合)の持ち物だったが、2006年の暮れに長谷工の手に渡り、昨年の暮れに三菱地所の関連企業が建て替え工事を始めたとのこと。この建物の裏側にあったのが「お川」である。この和食の店も今はない。
 地下鉄で表参道に移動し2コース目を始めようとするが、疲れと雨のため計画を大幅に変更。M君と別れたあと、神宮前の「ネッコ坂」なる緩やかな坂道を上がって青山通りに出る。狭い道沿いの店舗向け賃貸物件には空室が目立ち、需要と供給のバランスが崩れていることを考えさせられる。
 骨董通りに入り、高樹町の手前、南青山六丁目から六本木通りの南青山七丁目交差点に抜ける新しい道を歩いてみた。つい先日開通したこの道は、この先、東四丁目、広尾高校前、渋谷橋と通って、恵比寿駅前に抜ける道につながっている。距離としてはたいへん短いのだが、交通の流れを大きく変えそうだ。
 夕刻を過ぎ、K君は箱崎の方まで芝居を見に、私は西落合まで勉強に。日付も変わろうとする頃、コインパーキングからクルマを出して帰宅の途についたが、街は変わり続けることを改めて知った長い一日だった。

やればできるということ

 月曜日に引き受けた新しい「仕事」。ボチボチと進めては五月雨式に送っていたのだが、今日、最後となる5本目をどうにか仕上げることができた。明日という日はなかなかに大切な日だったようで、結果としてそれに間に合わせることができてよかった。
 「仕事」と言うだけでは何のことやらさっぱりわからないし、実際、結構楽しくて「仕事」と呼ぶのもおかしな気がするのだが、いずれその中身が明らかにされるときも来るのだろう。ただ、達成感の一方に不安や気恥ずかしさがあることも事実。とにかく、お求めのみなさんに喜んでもらえることを願っている。

みがきみがきて おのがじし

 かつての勤務先の同窓会報が届く。在職当時、事務次長を務めておられたN氏が昨年の暮れに還浄されたとの報せにことばを失う。私がこの学校を離れたあと、事務長に昇格され、同時に学園の理事にもなっておられたが、62歳の若さであった。
 ひとことで言うならば、N氏は「正義」の人であった。しかもそれは、教条化し硬直化し絶対化した正義ではなかった。学園のネットワーク化に関する仕事を受け持っていたとき、職場内、特に教員関係を支配していた秘密主義と排他主義の中で孤立した私を支えてくれたのはN氏だった。
 その職場を離れ新しい生活を始めたあと、ひょんなことからお目にかかったとき、私の様子をご覧になり、当時の私に巣くっていた病理に気付いてくださったのもN氏だった。信頼できるお医者さんを紹介してくださり、それが快方に向かうことを喜んでもくださったのだった。
 ご自身もお身体の具合が優れないままに、学園の経営のため、まさに身を粉にして奮闘された。一歩も二歩も先を見る抜群の経営センスと、「恩義」ということばに象徴される頑ななまでに古風な感性の、両方をしっかりと具えた方であった。
 私の身辺の変化にともない、お目にかかることもなくなってしまったが、私のこころの中にはいつでもN氏がいた。そしてそれは、今もこの先も決して変わることがない。声にならぬことばで、届くことのないことばで、ひたすらに感謝の思いをお伝えしたい。
 ただただ憶念せよ。願いを生き方に変えよ。常にN氏とともにあれ。南無阿弥陀仏。

私は行く

 高尾での3コマを終えて帰宅し、すぐに郵便受けをチェックする。会の《名簿原票》が返送されてくる茶封筒の束の中に濃い緑色を発見。封筒に KAMINOMOTO の文字を確かめる。
 来た。
 4月27日に神戸で投函された郵便が、連休をまたいで今日届いたのである。一度は諦めた宙組公演のチケットが私のもとにあるのだ。
 5月12日、私はあれこれのことを置いたまま宝塚に向かう。みなさんごめんなさい。そして、ありがとう加美乃素。


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         http://d.hatena.ne.jp/riverson/20120331