belle étoile

 雪組公演『仮面の男』と『ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』は今日が千秋楽。どんな公演でも千秋楽となるとまずチケットは手に入らないのだが、彩那音さん・晴華みどりさん・大凪真生さんの退団公演なのでどうしても見に行きたいと思っていたところ、譲ってくださるという方とありがたい縁をいただいた。
 研究例会を途中で失礼し劇場に向かう。開演30分ほど前に着くと、劇場の前はある種異様な雰囲気に包まれていた。おそろいの白い服を着た人たちが生徒の名前の書かれたプラカードを持って立っていたり、机を出して受付をしていたり。少し気おくれしながらも、その隙間を抜けて入口に向かい、指定された席に落ち着く。1階のずいぶん前の方に座れるとは本当にありがたい。
 千秋楽は拍手が違う。先ほど見かけた白い服を着た人たちがリードしているのだろうか。芝居でもショーでも、特に退団者の見せ場ではそれはそれは大きな拍手が起こるのだ。ミラーボールの大女優も、そんな拍手の中を吊り上げられていった。その歌声を聞くべきところでは水を打ったような静寂を保ち、歌の余韻のうちにまた盛大な拍手が沸き起こる。実に見事なものだ。
 この独特の雰囲気の中、客席の熱もじわじわと高まっていく。休憩後のショーは冒頭から大きな手拍子。何か所か調子の変わるところもあるのだが、きちんとこなしていくさまが美しい。3回目の観劇とあって、もう視線が定まらぬということはない。下級生たちの活躍ぶりを讃えながら、見るべきところをきちんと押さえていく余裕も出てきた。退団者の見せ場がたっぷりなのは、研10・研11・研13で卒業していく3人の生徒たちへのはなむけであったと確信する。
 晴華みどり渾身のエトワール。絶唱である。万雷の拍手に迎えられる歌姫の姿を、大階段で歌うその最後の姿を、この目に焼き付けておこうとするのだがどうにも涙が邪魔をする。おじさんがひとりで泣いていては恥ずかしいと思ったけれど、あちらにもこちらにもハンカチを目に当てる姿が見られ、奇妙な一体感が生まれていた。
 千秋楽では終演後に組長とトップスターのあいさつがあるが、退団者がいる場合には、組長による紹介と退団者本人からのあいさつも加わる。退団者は組長に愛称で呼ばれ、大きく返事をし、緑の袴姿で大階段を降りてくる。出演者と同期生から花をもらい、その花を手にしたまま舞台中央でのあいさつ。それはまさに卒業式のおもむきである。
 3人の退団者のうち、やはりかおりさんのことを書こう。彼女は高等学校3年のときにテレビを通じて宝塚と出会った。組長からは、大学受験の勉強も続けることを親御さんと約束したうえで自分でレッスンスクールを探し、お小遣いを貯めていた中から月謝を出し片道3時間の道のりを通ったことが紹介された。そう、この人は「普通の人」なのである。英才教育を受けたわけでもなく、俗に七光りと呼ばれるような親の威光に恵まれたわけでもない。つまりは「努力の人」だったのである。
 こんなエピソードも紹介された。ある時期を過ぎると、ファンに期待される役と実際にもらう役との間にずれの生じてきたことに悩んだこともあったというのだ。私たちの不満は、演者である彼女自身の苦悩に通じていたことをあらためて知らされた。またある公演では、稽古中ずっと役づくりに苦しんでいたが、幕の開く前日になってようやくひらめき、稽古場に戻って一から役を作り直して初日を迎えたという。彼女が語ったという「役を演じるのではなく、その役になって生きる」ということばから浮かび上がってくるものは、ストイックと形容するのが最もふさわしい舞台人の姿そのものである。
 彼女は、本人のあいさつの中で「私の宝塚人生は、苦しかったこと、涙したことの方が多かったかも知れません」と語った。そして「でも、どんなに辛いことがあっても、舞台に立てば笑顔になることができました」と続けている。宝塚を愛し、娘役らしい娘役でありたいと願い続け、タカラジェンヌとしての生き方を究めようとした人の最後のことばである。客席のあちらこちらから、すすり泣く音が聞こえてくる。隣の席の女性ファンもボロボロと泣いている。この人をもっと見ていたかった。この人の歌をもっと聞きたかった。この人が大きな羽をつけて大階段を降りてくる姿を一度でよいから見たかった。同じ思いの人も多かったに違いない。
 今日、東京地方はうそのように晴れた。それが単なる偶然であることは百も承知だけれど、この偶然の晴天を晴華みどりの卒業を祝うものとして喜びたいのである。雨なら雨で、涙雨だと言って思いを重ね、それを喜びとしたと思う。だが、今日ばかりは青い空が本当にうれしかった。彼女が芸名を考えたとき、最初に浮かんだのは「晴」という字であったという。その名にこめられた願いの通り、晴れやかで華やかな、笑顔の美しいタカラジェンヌであった。今はただ、この人の輝く瞬間に幾度も立ち会えたことを幸せに思う。