メドレーのことを語ろう

 タイトルから A. W. Medley の話かと思われた方には申し訳ない。せっかくなので、少しだけ Medley のことにも触れておくと、「村井・メドレー」とか「メドレー・村井」などと聞いてひとりの人の名前だと思う人も現れて始めている。村井知至の名前を「ともよし」と読める人もめっきり少なくなっているようで、私たちの仕事もなかなかたいへんだと思う。
 さて、こちらは「夜のヒットスタジオ」という歌番組の名物だったオープニングメドレーのことである。番組の冒頭、出演する歌手たちは次に登場する歌手の持ち歌を少しだけ歌ってはコメントとともに紹介し、マイクをつないでいく。最後にマイクを渡された歌手はメドレーの「トリ」にあたり、その歌をワンコーラスまるまる歌うのである。
 カバーなどというものが大流行の昨今だが、この番組のメドレーでは誰も自分勝手にアレンジすることなどできず、生の伴奏に追い立てられるようにひとの歌を歌うのだ。実力が見事に露呈してしまうわけで、当時の歌手はたいへんだったろうと思う。
 YouTube にはこのメドレーがいくつかアップされているようだが、1977年2月14日の放送でビューティーペア(すごい名前だ)がアローナイツの「ぬれて大阪」を歌っている(?)場面は、なんともすごいものだ。あんなに難しい歌が昨日今日の歌手に歌えるはずがない。ずいぶん意地悪な順番を組んだものだとも思うが。
 1週間前のテレビで見て以来、35年ぶりくらいに山口百恵にはまっているのだが、この人がメドレーで歌ったのを聴いていると、やはり上手い人だったのだとしみじみ感じられる。演歌とかニューミュージックとか J-pop とか、そういう細分化がなされる前のいわゆる「歌謡曲」の時代の人だったのだと思う。
 例えば、この人の最初のアルバムのB面(もはや死語だ)は洋楽のカバーだし、2枚目のアルバムのB面は同時代の歌手のカバーである。このようなアルバムのつくりは当時としては珍しいものではないが、まだ中学生だった彼女が「歌謡曲」の歌手としてきちんと仕事をこなそうとしている感じがして微笑ましい。