枳殻邸で環境問題を考える

 昼過ぎに入洛。夕刻からの重そうな用務に備え、まずは腹ごしらえと北を目指す。駅前の宿にチェックインしたあと、地下鉄と京阪で出町柳へ。その先は叡山電車で一乗寺まで。窓が大きくて明るい「きらら」(デオ900形)に乗ることができて、ちょっとラッキー。
 一乗寺はラーメンの街。新幹線の中でチェック済みの有名店「高安」へと向かう。途中、この辺りの東大路にロンドンのカムデン・タウン(Camden Town)の匂いを感じたのは気のせいか。京都ラーメンの系譜にはまるで明るくないが、ポップな内装に丁寧な接客、甘みのある白いスープにストレートの細麺、たいていのお客さんが注文しているカレー味の巨大な唐揚げに入れ放題の辛味づけ用ニラごまと、どれもこれも初めての経験でおもしろく美味しかった。
 駅に戻る途中、惠文社という素敵な本屋さんを発見。新刊書ばかりでなく、古書、雑貨、文具、CD、DVDと、実にさまざまなものを扱っており、ギャラリーも併設されている。ヴィレッジヴァンガードともBOOKSキディランドとも違う独特の雰囲気で、いつまでもここにいたいと思わせる魅力にあふれたお店だった。あとで調べてみたところ、相当に有名な店のよう。いつかまた訪ねたい。
 夕刻、所属寺のS氏と連れ立って「東本願寺と環境を考えるつどい」に参加するため渉成園(枳殻邸)へ。今日のテーマは「環境問題は想像力の問題:想像力を欠如した人間の在り方をめぐって」。6年近くにわたる「東本願寺と環境を考える市民プロジェクト」の活動を一定程度総括することを目的に企画された鼎談である。
 人間と自然の共存をテーマに活動する写真家、持続可能な社会を模索する産業技術の専門家、そして環境の問題を仏教の視座からとらえ直そうとする僧侶。それぞれがそれぞれの専門性を背景に発言するならば、それを受けとめる聴衆もまたそれぞれの現場を抱え真剣に環境問題と取り組んでいる。
 ぐいぐいと引き込まれて聴き入るうちに、お寺との関わりの中で言わばその世界にしか通用しない「符牒」のようなものに慣れっこになってしまっている自分に気付かされる。現場を抱えて生きている人々と対話することの尊さを思った。
 今日の「僧侶」とは、他ならぬ私たちの敬愛する住職。ほかのお2人の話を引き出しながら、そこに親鸞のおさえた人間存在の実相を照らしていく進行役を務められた。帰りに数十秒の間預からせていただいた鞄の重さに、今日に向けて準備されてきた姿が偲ばれた。