OSK90

 思えば幼い頃からどうでもよいことをいくらも知っている子どもで、SKDは「松竹歌劇団」のことであり、OSKは「大阪松竹歌劇団」のことだと小学校の頃から了解していた。ただ、歴史研究の立場からはっきりさせておくなら、私が生まれた頃にはOSKは松竹の手から離れ「日本歌劇団」として独立し、略称はNKDを名乗っていたし、ものごころつく頃には「OSK日本歌劇団」というのが正式名称になっていた。
 OSKは宝塚に比べるといくらか垢抜けないというイメージを抱いていたのだが、ところがどっこい、先日、その舞台を映像で見る機会があり、踊りの美しさと華やかさにすっかり打ちのめされてしまった。特に、ロケットの高さと速さと言ったらないのである。古くから「歌の宝塚、踊りのOSK」と言われてきたそうだが、そのOSKを見ることなくここまで来てしまったかと思うと、もったいなくて仕方がない。
 この歌劇団に興味を持ち、あれこれ調べてみると、その歴史は、まさに紆余曲折、山あり谷ありの90年であったことがわかる。
 昭和の初頭には、一部の楽団員の解雇とすべての劇団員・楽団員の賃金削減に抗議する労働争議が起こる。公演をサボタージュし、高野山の金剛峯寺に立てこもり、ついには勝利した「少女」たちを思うと、彼女たちもまた時代のうねりと無縁ではなかったことが浮かび上がってくる。
 太平洋戦争中は、さまざまの統制はあったものの、宝塚のように劇場を接収されたり、SKDのように解散命令を受けたりすることなく、焼け野原となった大阪市内で公演を続けたという。終戦の年の7月26日に夏の公演の幕を開け、9月19日には秋の公演を開幕させたという興業団体の存在を、私は寡聞にして他に知らない。
 近年では、スポンサー企業による支援が打ち切られて解散の憂き目にあったものの、劇団員とファンによる「市民劇団」として再出発したというのも、他にはあまり聞かない話だ。しかしそれもまた立ち行かなくなり、民事再生法の適用を受けて再出発するなどということもあった。その間、さまざまの理由で離れて行かざるを得なかった劇団員も多かったようだが、OSKの遺伝子が新たなステージに存在の意義を示したものと考えてみたい。
 昨日付で、OSKの創立90周年をPRする映像が公開された*1。常にその時代を生き、いつも人々の中にあったこの歌劇団は「清く・正しく・美しく」の対極にあったとまでは言わないけれど、別世界に閉じこもることなく、生活の大地に根ざそうとするたくましさを具えているような気がする。AKBやらSDNやらSKEやらNMBやらHKTやら、なにやらいろいろとあるようだけれど、ここはやっぱりOSKだろうと。OSK90。この4月1日が90回目の誕生日である。

*1:http://www.youtube.com/watch?v=TlY3s7rltsU&list=UUulneJtjMARpEHhWQTlGa6w&index=2&feature=plcp