名前のこと(3)

 私の名前(=given name)は音読みができない。いや、できないわけではないのだが、音読みにしたときの響きがよくない。さっぱり「わや」やわ、という感じである。
 例えば、伊藤博文の名前を「はくぶん」などと呼ぶ場合がある。男性の名前の正確な読み方を知らなければとりあえず音読みにしておけばよいというような「伝統」もあり、研究発表のときなど、その方法で切り抜けることもある。
 神田乃武の名前に「のりたけ」と読みがなを振っている文献に出会ったことがあるが、これは「ないぶ」と読むのが普通だろう。ただ、この人は幼名を信次郎(のぶじろう)と言ったそうで、そうであれば乃武は「のぶ」と読むべきだなどと言う人もいるようだ。外山正一については、うっかり「しょういち」などと読んでしまうと、後で酒の肴にされてしまうこともあるので、私たちの業界ならぬ学界では特に要注意だ。
 私たちの会には「けいしゅう」さんと呼ばれている仲間がいる。漢字で「慶秀」と書き、本当は「よしひで」さんと読むのだが、私たちは親しみを込めて音読みをしている。
 今日、その人からメールをもらったのだが、本文の末尾にあるご自分の名前が「慶習」となっていた。なるほど、ご本人も「けい」で変換、「しゅう」で変換という方法を採っておられたのだと思うと、ちょっと微笑ましく感じられた。