法話の話法

 早朝6時半に帰宅。夜の勉強に備え「まとめ」と「演習」のプリントを6枚つくったあと、2時間ほど仮眠を取る。
 昼過ぎに家を出て葛飾区内のお寺に。2組C班の「いのちのふれあいゼミナール」に参加する。座談の進行は苦手だが、思いがけず中身の濃い話し合いになった。
 夜、西落合で勉強。単語のまとめ、表現のまとめ、文法のまとめ。きちんと整理したのだから、あとは覚え込むだけだ。任せたぞ。
 さて。印象批評に応えることは難しいが、私の願いは具体的で継続的だ。この願いに応えてもらえないということは、願いそのものが理解されていないということなのではないか。自分を語り開くことの困難は十分に理解するつもりだけれど、そことは違う次元に問題の所在を感じる。
 私は評論家でなく審査員でもない。ただ、ひとつの願いのもとに「話」を聞きたいのだ。どのように迷い、悩み、その末に何に気付き、何と出会ったのか。その道筋をことばにしてもらいたいのだ。その道筋を追体験するうちに、語り明かされる「法」なるものがきっとあるように思うのだ。