復興せよ!

 事務仕事をいくつか。うっかりというものは常にあるもので、書類を送ろうとしたら住所を教えてもらっていなかったというお粗末。しかたなくメールで問い合わせ、明日以降の返信を待つ。メールに添付して送れるようなものだったらよかったのだが、そういうわけには行かず、しばし足踏み。
 日本テレビの「復興せよ!:後藤新平と大震災2400日の戦い」を見る。関東大震災後の復興は、高い専門性を有する個人が後藤を中心に集結し「チーム」となることによって実現した。今日の東京という都市の骨格は、この復興計画に負うところが多い。特に、数々の事業が土地の個人所有への強い執着を転換させることなしには成し遂げられなかったであろうことを思うとき、その労を多とせずにはいられない。
 問題はその後のことだ。たとえば戦後の高度成長期には、計画的に造られた公園の上に道路を通してみたり、道路の緑地帯を無用のものと始末してしまったりということが重ねられた。また、バブルの頃から現在にいたるまで、地域コミュニティのシンボルとして形成された復興小学校や復興公園は次々に破壊されているのである。
 なにかしらの「精神」というものをきちんと継承していくことの困難を思う。浮かれ浮かれてモノとカネの春を謳歌していた時代には、明治・大正・昭和を生き抜いた人々の震災復興への思いは顧みられることがなかった。関東大震災後の復興は教育から。その象徴として建設された母校の校舎の姿を壊されるままに見届けることしかできなかった自分を、悔恨の思いとともに幾度も振り返るのである。