ロプロス、空を飛べ

 ここ数日の寝不足を解消するように眠る眠る眠る。そして夕方からは地元・綾瀬で中学校の小さなクラス会。年に3〜4回のこの会合、クラス会のつもりでいたのだが今日集まった9名のうち卒業時の同級生は4人だけだった。
 友だちの友だちということでこの輪に加わった者がいるかと思えば、何度か来てすっかり顔を見せなくなった者もいる。あれこれ数え上げれば30人くらいにはなるだろうか。とは言え、私たちの同期は10クラスで420名ほどいるのだから、1割にも満たない数ではある。
 あのころの母校は超過密校で、1980年10月2日現在の在籍数は30学級1250名だった。このあたりは実に記憶力がよい。プレハブ校舎は普通教室・特別教室を合わせて16部屋分あった。この記憶も確かだ。校舎のありとあらゆる部屋は普通教室に転用され、会議室も更衣室もなかった。私たちは、階段下のデッド・スペースを生徒会室などと言って使わせてもらっていたが、それでも活動場所があるだけましだったと思う。
 ただ、今になって気になるのは、その「生徒会室」の壁がアスベストだったことだ。今日も「アスベストのニュースを聞くたびにあの部屋のことを思い出すよ」という者がいて「アスベストって潜伏期間が長いんだよね」などと口をはさむ者も。彼らはそこで過ごしていないのだからよいが、私などは自分の教室にいるよりもそこにいる方が長かったわけだからずいぶんと気がかりだ。おまけに、壁から落ちた粉がキラキラするのを見ては「石綿だね」「ふーっ」っと飛ばしてみたりしていたのだから始末が悪い。
 私の死後、アスベスト被害の事実が確認されたら、区の教育委員会を訴えてくれと頼んでみたが、あっさり「時効だろ」とひとこと。そんなこんなのクラス会である。