ときを待たぬもの

 昨夜のうちに届いていた訃報に朝になって気付く。所属する会の重鎮が還浄されたとの報せだった。巷には「おめでとうございます」ということばのあふれる元日に、終焉を迎える人生がある。いのちの事実は「とき」を待たない。
 昨日、お寺の帰りに聞いたラジオ。初詣で他人の投げた賽銭がコートのフードに入っていたのを自分のものにしたら罪になるのかという話をしていた。法律家が「願いが大きいと賽銭の額が大きくなるようだ」という主旨の発言をしたところ、相手役の女優が「そもそも、初詣というのは願いごとをするものなのでしょうか」と応じていた。因島出身の女優の持つこの感性に安芸門徒の伝統が息づいているのだとしたら愉快でならない。
 安芸門徒の地・広島に名物あり。俗に「名物に美味いものなし」などと言われるが「川通り餅」は別だ。私たちの会の会長氏は香川にお住まいだが、大量に買い求めてお帰りになるのを目撃したことがある。そう、この菓子は広島でしか手に入らず賞味期限も短いのだ。だから、私のように広島から遠く離れて暮らすものには、なかなかひとさまに差し上げることがかなわない。暮れに持ち帰ったものも、明日あたりが期限か。急いで食べることにしよう。