こうして一年が始まる

 例によって、テレビの「東急ジルベスターコンサート」で年越し。沈黙の4秒もまたよし、か。年をまたぎ、録画しておいた「紅白」を30分で振り返る。尾野真千子さんの扱いにはがっかり。NHKには「もんぺ姿で岸和田弁をしゃっべっているあの人がこんなに素敵な女優さんなんだよ」という演出はできなかったのか。
 次いで、スカイ・ステージで録っておいたショー『グランド・ベル・フォリー』を見る。風花舞の美しさ。その身のこなし・身のさばきは、群舞の中で圧倒的な存在感を示している。こんなことばを某所で使ったことを思い出す。2時半にようやく就寝。
 日の出の頃、7時より所属寺で修正会。住職に年頭法話をいただき『歎異抄』第一章を振り返った。他力回向の本質にこそ、私たちの立つべき位置を見出したい。「喪中」ということばを軸に思考停止状態になっている私たちが明らかにされたこともまた清々しかった。あわせて、新年最初の法語として示された安田理深師の「なぜ覚りが開けんかといえば迷わんからだ」ということばにはハッと息を呑んだ。
 苦悩の人生であればこそ、堂々と生きていこう。願われてあることの喜びに、繰り返し繰り返し目覚めさせられる日々を歩もう。