凜として

 美影凜という名を知ったのは、2004年版の『おとめ』を開いたときだった。娘役にふさわしい美しい名だと思った。美しさの中に強さを秘めた名だと思った。
 それまでは、ここでは明かしてはならない本名で記憶されている人だった。本名を知っているのは、ある学校で、彼女の在籍するクラスの副担任を務め、英語の授業を1年間担当したことがあるからだった。
 音楽学校に入学後、グレーの制服姿で母校を訪ねてくれたことを覚えている。そのときの自分は別の学年の学級担任になっており直接話をすることはなかった。それに、ツーショットの写真を頼むほどのミーハーでもなかったから、元気そうな姿を遠くから見ているだけだった。
 彼女は90期生である。創立90周年を記念する年の入団者ということで、初舞台となったショーの『タカラヅカ・グローリー!』では総勢90人によるロケットが組まれた。入団前後の様子がテレビのドキュメンタリーで取り上げられ、彼女がテレビに映る姿を見たこともよく覚えている。
 その美影凜が、『クラシコ・イタリアーノ:最高の男の仕立て方』『NICE GUY!!:その男、Yによる法則』の東宝公演をもって退団するという。入団して8年になるというのに、なかなか実際の舞台を見に行くチャンスがなかったのだが、この公演だけは見逃してはならないと思い、先日、東宝の幕が開いた4日目に出向くことにした。
 プログラムを買い求め、出番をチェック。開幕後は芝居の進行に合わせ、ここだと思ったときにオペラグラスを構える。すると、不思議なことにレンズの中央に彼女の姿があるのだ。舞台上には何人もの演者がいるというのに、まったく奇跡のようだ。
 セリフは第5場と第12場に1つずつあるのだが、それを言う姿をきちんととらえることができたのだから、実に幸福なことだと思った。退団者へのはなむけとして贈られたのであろう2つのセリフはこちら。

第5場
 招待客(モニーク・ラカッラ)「今度のお相手は、政治家の令嬢。よくも次から次へと…」
第12場
 バールの客[2](女)「マンマの味が恋しくて。故郷に帰んのかい?」

 もちろん、聴き取って覚えたわけではない。記憶を頼りにプログラムと『Le CINQ』で確かめたのだが、文字を読めばその息づかいまでもがよみがえってくるような気がする。
 トップ、2番手、3番手、娘1といった人を見つけるのはわけのないことだ。しかし、それ以外の演者は、何人もが同じような衣装をつけよく似た髪型をしているのだから、一人ひとりを見分けるのはそう容易なことではない。しかし、不思議に助けられて見続けているうちに、ショーが始まる頃には集団の中に彼女のたたずまいの美しさを見出す目も養われてきた。
 ロケットの中心にその姿を認めたときには、熱いものがこみ上げてくるのを感じた。90人のロケットで始まった宝塚の舞台での日々が、このロケットを最後に終わろうとしている。千秋楽までにはまだ日があるが、その日の感激を先取りするような思いで見守ったことだった。
 芝居と言い、ショーと言い、この舞台を最後に退団する者へのあたたかさをひしと感じる公演だった。私にとって最初で最後となるであろう美影凜の舞台は、こうして優しい気持ちのうちに幕を下ろした。凜としてあれ。卒業後の人生もまた幸いなることを願っている。