さしすせそ

 どうにも「さしすせそ」がおかしなことになっている。中学校の頃から気付いてはいたのだが、近頃では職業として話をする人や歌を歌う人にもそのような状況が見られるものだから、どう対応すべきか悩んでしまう。
 「さしすせそ」の何がどうなっているのかと言うと、さ[sa]・し[ɕi]・す[sɯ]・せ[se]・そ[so] という音の中で、「し」に見られる無声歯茎硬口蓋摩擦音の[ɕ]はきれいに出るのだが、それ以外の音に見られる無声歯茎摩擦音の[s]が歯摩擦音である[θ]に寄ってしまっている人が多いのだ。原因はいろいろ考えられるし、矯正法もあれこれ考えられているようなのだが、私が問題にしたいのは、これらの音に違和感を覚えない人が増えていることだ。
 個人的にはどうにも気になるこれらの音だが、コミュニケーションに支障があるわけではない。だから、これらの音に違和を感じない人も多く、ことばの専門家の中にもこれらを日本語の音のバリエーションであると認める人が少なからずいるのである。私も、こうは言うものの、舞台で歌っているのを聞いているときには気付かなかったのだが、録音されたものをCDで聞いてみたら耳について仕方がないといった状況なのだ。
 もはやこれは私の問題なのだろうか。つまり、日本語の音のバリエーションを広く認められない自分にこそ問題があるということなのであろうか。美しい歌声にうっとりしながらも、「さ・す・せ・そ」が出てくるたびに心が波立つのを感じる。なんとも悩ましいことだ。