母を(駅に)見送る

 今朝までの仕事は完璧とは言えぬが何とか目鼻をつけて送ることができた。あわせて別の仕事も2つばかり片付けたあと、ほんの少しだけ仮眠をとり、母をクルマで東京駅まで送る。
 京都市内に生まれた母は、保健婦(現在の保健師)として働きながら女手ひとつで4人の子を育てていた母親が府下南部の町にある保健所の副所長になったため、小学校時代にその町に移り住んだ。今週末にその当時の同窓会が開催されるため、懐かしい故郷に向かったのである。
 休講日だし何時でも大丈夫だよと引き受けたときには駅まで送ればよいかくらいに思っていたのだが、結局は入場券を買い求め新幹線の車内まで同行することに。私は痩せれば小柄な人と呼ばれるであろうほどの背丈しかないが、そんな私が見てもずいぶん小さくなってしまった母が心配になってきてしまったのだ。
 今回は、同窓会のあとも友人や兄姉を訪ね、しばらく帰らないと言って東京をあとにした。もう故郷に帰るのも最後と思っているようだ。そうやって、生きるということにけじめをつけようとしているのではないか。そのように思えてならない。
 夕刻、無事を伝える電話があった。もうすっかり京都のことばになってしまっていて、東京に帰ってもしばらくは元に戻らないのだろう。そんなことを思いながら、日常の暮らしから離れ、懐かしさのうちに元気を取り戻してくれることを願ったことだ。