桃李もの言わざれども
朝一番で受け取ったメールは訃報だった。会としてもお世話になり、個人的にも調査・研究の上で折々に助言をいただいた先生だった。
先生が長くお勤めだった学校で非常勤の仕事をさせていただいたことがある。英語の教員室には、中高の現場とは思えないほどたくさんの英学史や英語教育史の蔵書があった。その学校には別の研究団体でお世話になった先輩が勤めておられたが、それらの本はその先生が集められたものだと教えてくれた。先輩は、授業の進め方についてはその先生とずいぶん対立したとも聞いている。しかし、英学史・英語教育史関係の蔵書を蒐集するという点においては、今では学園随一の理解者となり継承者となっている。
会として弔意を表す方法を検討する一方、個人的にも弔電を打たせていただいた。
先生のご逝去の報に接し、驚きと悲しみを禁じ得ません。
昨年の5月、秋田市で開催した私ども日本英語教育史学会の全国
大会にお越しくださり、先生のお生まれの地である秋田とゆかり
の深いアメリカ人教師カロザスについてご講演くださったことを
まさに昨日のように思い出しております。
ピンと伸びたお背中とおだやかなお話しぶりは、先生のお人柄そ
のものでした。そのお姿は、英学の徒としてのありようを私ども
後に続こうとする者にお示しくださっていたのだと思います。
ここに、これまでのご厚情に感謝申し上げますととも、衷心より
謹んでお悔やみ申し上げます。
桃李不言下自成蹊。先生のもとに英学史・英語教育史を志す多くの後進が集い、それがひとつの道になった。そして今、私たちはまたそこからそれぞれの道を拓きつつある。桃李のもとに蹊(こみち)成す庭を愛した先生は、ご自身がまさに桃李の林に立つ名木となられたのだと思う。