紺青

 出講先が学園祭準備のための全学休講で助かった。国会図書館に籠もり、調べもののマイナスをゼロに、そしてプラスにしようと必死の時間を過ごす。
 予定の資料をすべて集め、ホッと一息ついたとき、母がときどき思い出しては「夢のようだった」と口にする雑誌の名を思い出した。それは『紺青』。さっそく調べて閲覧を申し込んだ。
 雑誌『紺青』は月刊誌で、1946(昭和21)年7月から1948(昭和23)年12月まで刊行され、翌年の1月からは『新家庭』の名にかわり、その年の6月で廃刊となった。版元は雄鶏社。学のある人は「ゆうけいしゃ」と読みたくなるところだが、知識のある人はきちんと「おんどりしゃ」と読む。近年は手芸の本で有名な出版社だ。
 マイクロフィルム化された資料は表紙がカラーでないのが残念だが、母が「夢のよう」という意味がわかったような気がした。とにかく執筆陣の充実ぶりには目を見張る。気付いたままに記せば、西條八十、佐藤春夫、土井晩翠、堀口大学、神保光太郎、三好達治、丹羽文雄、林芙美子、日夏耿之介、宮本百合子、高見順、川端康成。こういうものを読んで過ごした母の少女時代をあらためて思ったことだ。
 紺青。それは少女の日の母の夢。