こっそりと授業のことを話そう

 学生たちも満足の様子だったという一昨日の授業。私はいったい何をしたのか。恥ずかしいが、ここに記しておこう。
 まず最初は小テスト。和製英語を含むカタカナ英語を正しい英語にする内容で、事前に配布したプリントに沿って4つずつ順番に出題している。前回の授業時に聴き取ったものをテストするかたち。
 テストを隣の学生と交換して採点したあとは、次回の準備。前期は英語のことわざを扱ったため聴き取るのも辛そうだったが、後期は生活に密着した語が出題される分、いくらかやさしく感じられるようだ。
 メインは聴き取りのプリント。同窓にして同僚だったM先生にヒントをいただいたもので、100語程度の英文を何度も聴いてすべて書き取る。英文のレベルは中学校の検定教科書程度だが、最初から最後まで全部書き取るとなるとなかなかハードである。
 今回のテーマはハロウィーンである。本時は3回連続の1回目。一連の授業にはハロウィーンにまつわる誤解を解くという「隠しテーマ」が用意してある。今回は、ハロウィーンとはそもそも何なのか、「神無月」の話などを交えて少し話した。Halloween の -een は even、つまり evening のことで、Christmas Eve の eve と一緒だよなどと言うと、大学生もいくらか沸いてくれる。
 聴き取りの自己点検、暗誦、清書と活動を進め、聴き取りのプリントは終了。最後は、ハロウィーンに関することばを用いたクロスワードに取り組む。ここで拡げた語彙、宮田先生流に言えば「語囲」が次の授業に生きてくるというしかけなのだが、さてどうなるか。
 大学生の授業としては、なんとも恥ずかしいレベルに終始していると思う。その現実をここに書くのも本当にみっともない話ではあるのだが、さまざまの活動を通じて、英語への苦手意識をいくらかでも取り除き、「ことば」への興味をひろげることができればと願っている。
 かつて、私たちの会の全国大会に清水護先生にお越し願い、講演していただいたことがある。先生は、講演の最後で「どんな方法でもよいから、とにかく一所懸命やることだ」とおっしゃった。ひとつの方法を追究し極めた人のことばの、なんと深みのあることかと思った。
 私が同じことを言ったとしても、およそ評価されることのない授業しかできない者の「言い訳」にしかならないかも知れない。けれど、どんな授業であったとしても、本当に一所懸命にやったならば、学生たちの得る満足感というものは決して浅薄なものではないと信じたい。
 中学や高校のときに、こんな少人数の授業をしてもらえばよかった---このことばは私に重くのしかかってくる。無力な英語教師のひとりとして、私にもできることを探し続けたい。言うべきことは言いながら。