空気がなくなる日

 ちょっと気になって岩倉政治の『空気がなくなる日』を再読。いくらか階級論のにおいもするのだけれど、仏法のもとの平等というのかしら、いのちの事実に抗うことのできぬ人間の姿も描かれているような気がして、短い話ではあるが深みや厚みを感じさせられた。
 この作品の初出は『子供の廣場』という児童文学雑誌の1947年11月号とのこと。新日本出版社の「創作少年少女文学」のための書下ろしではなかったようだ。もとは『空気のなくなる日』という題で、書籍化に際して『空気がなくなる日』と改められたとのこと。なお、『空気の無くなる日』という題で映画にもなっているのだそうだ。
 作者は『デジタル版日本人名大辞典+Plus』によれば、以下のような人。

岩倉政治 いわくら-まさじ
1903−2000 昭和−平成時代の小説家。
明治36年3月4日生まれ。鈴木大拙から仏教を、戸坂潤から唯物論をまなび、政治運動に参加。検挙、転向、再検挙をくりかえす。昭和14年「稲熱病(いもち)」で注目され、15年「村長日記」で農民文学有馬賞。58年80歳で「無告の記」3部作を完成した。平成12年5月6日死去。97歳。富山県出身。大谷大卒。ほかに少年読み物「空気がなくなる日」。

 奥野達夫という方の「忘れ得ぬ人」というブログ*1には、幼いころ信心の篤い母親に連れられて井波別院瑞泉寺へ通ったとのことなど、岩倉についてずいぶん詳しいことが書かれている。鈴木大拙の奥さんに気に入られて書生となり子息の家庭教師をつとめたとか、人気作家となって生活が豊かになったあともかねてから親交のあった棟方志功を支えたとか、政治思想を超えたところで多くの人とつながっていた人だということも、このブログを通じて知ることができた。
 岩倉の「反宗教」・「脱宗教」についてもちょっとだけかじってみたけれど、私の触れた範囲では、その多くは論じる側の「宗教観」が岩倉に追いついていないように思われる。視点がぶれないというのは大切なことなのだが、閉じてしまってはいけない。

*1:http://blog.nanto-e.com/column/20/