大学で同級生として知り合ったK君は得がたい友人のひとりで、最近でも年に2〜3本の舞台に誘ってくれる。彼はまさに演劇青年で、高校時代につかこうへいさんから大きな影響を受けたという。大学時代から今まで、彼に誘われるままに私も相当な数の芝居を見に行った。野田秀樹、鴻上尚史、三谷幸喜、松尾スズキ、ケラリーノ・サンドロヴィッチ。ひとりだったらくぐることのなかったであろう数々の入口の扉を、彼は開いて見せてくれた。もちろん、つかさんの舞台にも何度となく足を運んだ。
 練馬の学校に勤めている頃、同僚に高等学校の演劇界では相当に知られた人がいた。彼は演劇を通じてつかさんとつながりがあり、そんな縁で私が授業を受け持った生徒たちも何人か女優になっているのだが、ある日、K君に誘われてつかさんの舞台を見に行ったとき、そんなひとりが劇場のロビーで私を見つけて声をかけてくれたのだ。真家留美子さんといって、芸名のような存在感のある名前のお嬢さんだった。まだ高等学校の制服を着ている頃だったが、女優のオーラを身にまとった美しい人が「先生」などと呼ぶものだから、隣にいたK君もずいぶん驚いたし、周りの人たちも足を止めて聞き耳を立てていた。一瞬、演出家のような気分になってちょっと口元が緩んでしまったことをよく覚えている。真家さんは今も舞台女優として活躍中の様子だから、いつか見に行ってみたい。
 同じ頃だったろうか、やはりK君とつかさんの芝居ではない舞台を見に行ったときのことだ。開演前の数分間、席に着いてどうでもいいことをしゃべっているうちにつかさんの話になった。離婚に続いて再婚された時期だったと思う。そんなうわさ話を品なく続けていたのだが、やがてベルが鳴り舞台は始まった。驚いたのは幕が引かれた後、前の座席に座っていた女性が立ち上がり帰り支度のためにこちらを振り返ったときのことだ。その人は、つかさんの前の奥さんである女優さんだったのだ。あのときほど気まずく申し訳ない思いがしたことはなかった。その後、私たちは人のうわさ話を特に劇場内ですることには極めて慎重になったのだけれど、あの日に戻って今からでももう一度謝りたいような気分になる。
 つかこうへいさんが亡くなった。その知らせに接し、思い出したのはこんなことばかり。芝居にどっぷりつかることなく、その周辺をうろうろしている私にはふさわしいだろうか。思えば、今日は亡父の誕生日だった。いのちの事実の重みをひしと感じながら、62歳でお浄土に還られた奇才を憶う。合掌。