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 昼の仕事を終え、その足で所属寺へ。思いがけぬことで開催されることになった「学習会」に参加する。逆説的ではあるが、僧俗一体となって作り上げてきた講座の締めくくりにふさわしいものとなったように思える。
 「真宗宗歌」の2番には「六字のみ名を称えつつ/世のなりわいにいそしまん」とある。私たちの生活の二重性がよく表現されており、以前から好んでいた部分だ。
 今日は敬愛するD師の講話をうかがったが、その中で寺を護持することも「世のなりわい」であると堂々とおっしゃったことを大きな感慨とともに受けとめた。仏法を伝えるための道場としての寺を経営するには、世法の存在を避けて通れない。この当たり前の事実から逃げないことの意味は極めて大きい。営利主義に対する弁解や保身ではないからこそ、余計にそのことばに価値がある。
 あわせて、少数は精鋭であるというのは思い込みだということばにも蒙を啓かれた思いがした。いたずらに数を誇りそれを競い合うことは愚かだが、本当の本物が数多く集ったならば、これを隆盛と言うのである。私にとっての生活の二重性に照らせば、必ずしもメジャーとは言えない領域の学会が年々会員を増やし、年に一度の全国大会や二月に一度の研究例会が継続的に開催できていることのありがたさが思われてくる。会が大きくなればうれしいし、研究発表の質が上がり学会誌の内容が充実すればうれしいのである。これは理屈ではない。
 私はときどき気色ばんでみたりする。職員会議や教官会議や教員会議と呼ばれていた集まりに出ていた頃のことを久しぶりに思い出した。自分の仕事を増やしたくないがために「教育の理想」を振りかざし、生徒が生徒がと言いながら自分のことばかり考えているような人間が大嫌いだった。