毎日がお盆

 吉祥寺での仕事を終え、所属寺へ直行。月に一度の集まりだが、今日はいつもとかたちを変え、他のお寺のご住職やご門徒も迎えての小さな法話会となった。所属寺の住職に「お盆」をテーマに語っていただいた。
 さかさまになっているのはこの私であるという事実に気付かされていくこと、ここが私たちが「お盆」を過ごすうえでの重要な一点である。
 迷信に振り回されながらそれに気付かぬ人々が振りかざす「常識」なるものにずいぶん苦労した日々のことを思い出す。あの頃は教えからずいぶん遠いところにいたけれど、当時のやり切れぬ記憶こそが私をここに導いてくれたのではと思ったりもする。