閉じている(敬語は省略)

 この月曜日のこと。出講先の出勤簿には担当している授業の明細が印刷されているのだが、私の水曜日の3限目が漏れていることに気付いた。何かの間違いだろうと思い、近くにいた事務の人にたずねてみると、この件の責任者らしき人が事情を聞いてくれた。
 しばらくすると講師室にその人がやって来て、自分の把握している授業のコマはこの通りだと言いながら1枚の紙を見せてくれた。データベースの出力帳票らしきその紙には、私の水曜日の3限は印刷されていなかった。でも、そもそもその人の持っている紙の中身をもとに出勤簿が作られている(正確には、ともに同じデータベースから出力された帳票なのである)のだから、それは当たり前のこと。閉じているのだ。私は、別の部署から出された私の出講一覧表を見せた。その人は、その内容をメモし、少し時間をくれと言って帰って行った。
 今日、出勤簿の押印に出向くと、私の授業の明細は手書きの文字で修正されていた。実際、水曜日の3限目に授業をしているのだから当然のことだし、それはそれでよいのだけれど、講師給は出勤簿を根拠に支給されているから、水曜日の3限の分についてはこれまでの分を受け取っていないわけで、これをどのようにして支給するのか説明を待ちたいと思う。
 本当は、今日出向いたら説明が受けられると思っていたのだが、残念ながらそれはかなわなかった。こういう一件があったら、待ち構えていて事情を説明するというのが担当者としてきちんと仕事をするということだと思うのだが、どんなものかしら。
 非常勤講師の採用・雇用に際し「辞令」を交付するだけの法人が多いけれど、ここは「契約書」を取り交わすのが筋というものだと思う。今年度の時間割はこうなっていて、1時間あたりいくらなので1コマあたりいくらで全部でいくら、これを何日付で締めて何日に支給する。雇う側はこういうことをきちんと説明し、雇われる側は納得のうえでハンコをつく。実際、こういう形式を取っているところも少なくないのである。
 今回の件、私の経済生活上の心配もさることながら、私が授業をしているという学務上の事実が就労管理に正しく反映されていなかったということがわかってしまったわけで、これに起因する不安の方がずっと大きい。だからと言って、この先は何でもかんでも疑ってやろうなどとはまったく思っていないのだけれど。