小樽運河

 最終日は小樽へ足を伸ばす。北海道の「三大がっかり」の1つと言われる小樽運河の風景だが、これを残そうと努力した人々の労苦を多とせねばなるまい。ただ、その観光地化された一帯よりも何気ない街角にかつての「商都」の面影は残っていた。ここに日本銀行の支店を初めとする数多くの金融機関が置かれ、官立では東京、神戸、山口、長崎に次いで5番目、市立である大阪を加えても6番目となる高等商業学校が開かれたことの意味を思ったことだ。
 小樽は「北のウォール街」と呼ばれたのだとか。ニューヨークのウォール街は北緯40度42分くらいで、小樽市は北緯43度11分だから、確かに小樽の方がちょっと北の方にあるのだけれど、東京から見ればどちらも十分に北の方だ。ニューヨークのウォール街に経度が近い日本の都市と言えば、北緯40度49分の青森市あたりということになるかしら。
 そう言えば、その昔「ミュンヘン・札幌・ミルウォーキー」というほぼ同緯度の地名を並べたサッポロビールのコマーシャルがあったが、小樽は札幌よりもちょっとだけ北で、ニューヨークはミルウォーキーよりも少し南にあるのだから、ずいぶん遠回りだけれど小樽はニューヨークよりも北にあるというのはまったく正しい。それにしても、ニューヨークってずいぶん北の方にあるのだな。
 帰途、昨日のお寺でいただいた「寺史」を新千歳空港で開く。屯田の人々によって開かれ110年にわたって守り育まれてきたお寺の歴史がまとめられた立派な本である。
 巻末の80ページあまりは、このお寺のすべてのご門徒の家族の写真で占められている。ほとんどの写真は、一家がお内仏の前に勢揃いしたものだ。どのご家庭のお仏壇も、五十代は当たり前で、百五十代、二百代と大きいものばかり。最初のうちこそ、その大きさにばかり目を奪われていたのだが、ページを繰るうちに異なった感慨が胸にこみ上げてくるのを感じた。
 それは、お内仏を家の中心に置いて生活する人々の存在に対する静かな感動であった。私が知っている人は、昨日お寺で迎えてくださった15人ほどの方を除いては誰ひとりとしていない。しかし、この人たちが同じ寺の門徒としてつながっているように、私たちともただひとつのことでつながっているのである。
 昨日のご住職のお話に「正信偈のあることろに門徒あり、門徒のあるところに正信偈あり」ということばがあったが、以前に別の先生から「真宗のご本尊はどこも同じ。ご本山も、お手次のお寺も、家のお内仏も、どこもみな同じ阿弥陀さんである」とうかがったことを思い出した。
 一昨年の8月、この日記に「お内仏のある風景」を写真に収めながら全国を歩きたいと書いている*1。あれから2年、いよいよその思いは強くなるけれど、私の生活の状況はと言えばほとんど好転しないのも事実である。

*1:http://d.hatena.ne.jp/riverson/20080830