教育実習生

 朝は吉祥寺へ。早めに教科のブースに入り返す答案の整理などしていると、見慣れぬスーツ姿の男性が脇を通っていった。見慣れぬ姿ではあるけれど見覚えのある顔。以前にこの学校で仕事をもらっていたときに授業を受け持った生徒が大学生となり、教育実習生として来ているのだった。さっそく、あとを追って声をかけてみた。
 温厚にして円満な人柄。必ずしもリーダーシップを取るタイプではないが、抜群の存在感があり級友の信頼もすこぶる厚い。学級担任だったら指導要録や調査書の所見欄にそのように書いたと思う。蛇腹の制服を着ていたあの優しい子がネクタイをして目の前にいるのを見て、過ぎ去った年月のことを思ったことだった。
 そう、教育実習の季節なのだ。中高の「現場」を離れているうちにすっかり忘れていた。
 そんなことを考えていたら、専任職として中・高の一貫校に勤めていた頃に、同僚がずいぶん手を焼いている実習生がいたのを思い出した。大学の先生に、教育実習に行ったら好きなことをして来い、何でも試してみたいことを試して来いと教えられたと言っているのだという。
 私はあの時、教科主任だったろうか。研究授業のあとの合評会で発言を求めた。あなたは本当にそのようなことを教えられたのか。そのように教えられた先生はどなたか。その方が教育実習をそのような機会と考えていらっしゃるならば、厳重に抗議したいし、あなたの大学からの実習生の受け入れについては考えさせてもらわなければならない。有名な大学に通っている学生だった。その大学で教科教育法を担当していらっしゃる方の名前を挙げながら、こんなことを言ったと思う。
 その実習生は私が満足するような返答はしなかったけれど、今思えば、何でもオッケーのような感じの教員が急に気色ばんで見せたので驚いてしまったのかも知れない。いや、ひょっとすると、そんなことを教えた先生など、彼女の大学にはいなかったのかも知れない。
 何でも好きなことをしてください。何か試してみたいことはないのですか。教育実習生の指導教員として、私はずっとそのように言ってきた。それは、あくまでも実習生を受け入れる立場での発言だ。
 送り出す側であれば、きっとこのように言うだろう。学校の「現場」にはそれぞれの方針があるのだから、ご指導くださる先生のおっしゃることをきちんと守りなさい。指導法であれ何であれ、授業の中で試してみたいことがあれば、先生に相談に乗っていただき認めていただいた上で、少しずつ取り入れさせていただきなさい。焦ってはいけません。
 その学校で私が担当した女性の実習生は、ズボンをはいてきたという理由で同僚から注意を受けたと私に言った。規則にないことで注意を受けるのは心外であろう。私は頭を下げたけれど、このようなことは「現場」ではしばしばあることなので、その意味では本当の「実習」になったと思ってもらえるとありがたいとも言った。「現場」というところは、実にいろいろなことのあるところだ。