働きながら学ぶ

 かつて、地元の足立区には「スタンダード高等学校」という学校があった。これはスタンダード靴という製靴会社に附設された定時制工業科のみを置く高等学校で、設立年は寡聞にして知らないのだが、1979(昭和54)年に廃校となるまで続いたという。
 戦後の復興期、企業が多くの技術職を必要とする一方で、新制高等学校の卒業生に即戦力となる技能を求めることは不可能であった。発足当初の新制高等学校は総合制を志向しており、施設・設備・教員の整わない状況とあいまって、それは必然とも言えたのである。そこで考え出されたのが、企業が高等学校を設置し、義務教育を終えて就職した者に企業の求める技能を身に付けさせながら他教科の課程を学ばせ高等学校卒業の資格を与えるという方法であった。
 1961(昭和36)年の調査によれば、そのような「企業内学校」は全国に少なくとも51校が存在したという。そのうち、いわゆる工業高等学校として設立されたものは、静清工業高等学校、スタンダード高等学校、大同工業高等学校、麻生塾工業高等学校、備南高等学校、不二越工業高等学校、三和高等学校、南海高等学校、印刷工芸高等学校、松尾鉱山高等学校、神岡鉱山高等学校、石川島工業高等学校、大阪繊維工業高等学校の13校であった。*1
 この13校のうちに「スタンダード高等学校」の名が見える。この学校は、全国でただ一つ「製靴工業科」という課程を有していた。世に「金の卵」と称された若者たちは、昼は工員として製靴工場で働き、夜は生徒として靴の製造技術とともに他の教科を学んだのである。
 スタンダード高等学校はすでになく、これを設置したスタンダード靴という企業も2003年2月に民事再生法の適用を申請し倒産してしまった。若いプロゴルファーが在籍していた高等学校を卒業したとのニュースを見聞きし、まさに昼夜を分かつことなく働きながら学ぶことを実践した人々のことを思った。

*1:山本續(1987)「企業における技術者養成(2):丸善石油学院について」『近畿大学教育研究紀要』第11号、近畿大学教養部