私が「院歌」を知っているわけ

 筑波大学附属高等学校と学習院高等科・女子高等科との間で、年に一度、各種スポーツ競技の総合定期戦が開催される。附属では「院戦」と呼び、学習院では「附属戦」と呼んでいるのがそれだ。
 双方の生徒はエールを交換するために互いの校歌に相当する歌(附属の「桐陰会歌」および学習院の「院歌」がそれにあたる)や応援歌を覚えて歌う。おかげで、附属に1年だけ勤めたことのある私は「院歌」を歌うことができるのである。

  もゆる火の火中に死にて         火中:ほなか
  また生るる不死鳥のごと         生るる:あるる
  破れさびし廃墟の上に          破れ:やれ
  たちあがれ新学習院

 院歌の第一連のみを記した。学習院は1877(明治10)年の創立以来、校歌に相当する歌を持たなかったが、戦後その制定を要望する声が大きくなり、当時の院長だった安倍能成がものしたのがこの歌である。作曲は信時潔で、制定されたのは1951(昭和26)年。
 この歌を初めて聞いたときの衝撃は今も忘れることができない。学習院もいろいろとたいへんそうなので、この歌のことを思い出したりしてみた。