つくづく

 学生が英語で書いたものを読むときに文法や語法のエラーにばかり気を取られてしまうのは、『相棒』ではないけれど「僕の悪い癖」なのかも知れないが、母語を共有しているがために間違っているのに「わかってしまう」ものを放置することは避けなければならないと思う。むしろ、日本語の感覚から生み出されてしまう奇妙な表現に気付き、それを英語の側に寄せるということは、ふだん日本語を使っている私たちだからこそできることのはず。今さらこんなことを書くのも気恥ずかしいが、今日はそのことをあらためて痛感した次第。
 英文科の学生といっても、英語を書くというのはなかなかに骨の折れることのようだ。すらすら書くのだがついうっかりしてしまうとか、練り込みすぎて時間がなくなってしまうとか、和英辞典の情報に振り回されて自然な流れをつくれないとか、はたまたまるで英語が思いつかないとか、それぞれに抱える課題は実にさまざまで、適切に助言するためには勉強しなければならないことは多いものだとつくづく。