school letter

 中学時代のこと。F先生は、相当の「おばあちゃん」とお見受けしていたけれど、今になって考えれば60歳にはなっていらっしゃらなかったのだろう。嘱託でお勤めだったとしても60歳代の半ばくらいか。校内放送で職員室のことを「教務室」とおっしゃるので、ずいぶん古くさい先生だと思ってはいたのだが。私は直接教えていただいたことはなかったが、ひとつ上の先輩たちは陰で「コヤショエ」と呼んでいたことを覚えている。
 このF先生は、教務の文書作成のご担当だったのだろう。ガリ版映えのする独特の文字の並ぶ「お手紙」をいつも作っていらっしゃった。横書きで、左肩には「保護者各位」の文字、右肩には日付、その下には学校名に校長名、その下の段の中央にはやや大きな文字で標題が記されていた。私が学校からもらう「お手紙」に興味を持ち、そのスタイルを身に付けることができたのはこの先生のおかげである。
 教員となって4年目、女子校に移った最初の年のことだった。学級副主任を割り当てられていたクラスの朝礼に出向くと、欠席者が異様に多い。届けのあった欠席理由を調べてみると「インフルエンザ」という生徒ばかり。学年主任に報告のうえ保健室に相談すると、すぐに学級閉鎖の手続きを取ってくれとのこと。教頭の席へ行き、ことの次第を説明。お知らせのプリントを出したいので書式が欲しいと言うと、はて、そんなものはあったかなとの返事が返ってきた。ええ?
 学級主任の先生が研究日でなければ。だいたい、何十年も学校をやっていて文書の蓄積もないのか。そういう文句を言う暇もなく、私は初めての「お手紙」を作ることとなったのである。私がワープロで作ったお知らせの文書は、その後も続出した学級閉鎖の各クラスで使い回され、そのうち教務の正式な文書として保存されることとなった。
 F先生から、教えていただくでもなく学ばせていただいたことが生きたのである。今も、会務で必要なビジネスレターを作るとき、背中を丸めて「教務室」の前の廊下を歩いていらっしゃったF先生の後ろ姿を思い出す。