phonatory organ

 1年間だけ勤めた2つ目の職場のでのこと。文化祭で演劇部が鴻上尚史の『朝日のような夕日をつれて』を演るというので楽しみに見に行ったのだが、出てくる生徒たちがみな、どういうわけか恐ろしいほどにゆっくりな語り口であの長い台詞を語ってみせたのだ。なんだこりゃと思ったが、斬新な演出には何かの意図があるのかも知れないと思い直し、あとで演出担当の生徒にたずねてみた。すると、彼女は鴻上の芝居は一度も見たことがなく、ただ、登場人物の数や芝居の長さからこれを選んだのだと教えてくれた。高校演劇、恐るべし。ある意味で、あの芝居を超えるものに出会ったことがない。
 昨日は長い台詞が複数の演者によって同時に語られるのを久しぶりに聴き、ことばが音楽になる瞬間を楽しんだ。23年前に斬新だった方法に今となってはわずかの気恥ずかしさを覚えないわけでもないのだが、声と声とが重なり合いながらハーモニーともユニゾンとも違うものをつくり上げていくさまには、こころ奪われる何かがある。発声器官としての人間。勤行のうちにもときどき感じる思いである。