学級主任のことば

 夕刻より所属寺で法話会。
 お話をうかがいながら、母の一言を思い出していた。小学校の頃、ある子からいじめを受けていた自分。学校に行くことがだんだん苦しくなり、ついには登校中に吐くようになってしまった。家に引き返してはその日の登校をあきらめ、布団にもぐり込むという日々がどれほど続いたろうか。そんなある日、枕元で母は言った。
 「学校なんか、行かなくたっていいんだよ」
 何かが私の中で落ちたのだろう。この一言で、私は翌日から学校に戻ることができたのだった。
 教員となって7年目、中高一貫の女子校に勤めているときのことだった。学級主任をつとめる中学3年生のクラスには不登校の生徒が2人いた。
 ひとりの生徒は、学校へ出て来ることが辛く、自分が不安定であることを主張するために夜になると母親の前で暴れてみせるのだと言う。ある日、電話で相談を受けていた私は、お母さんにこう言ったのである。
 「学校なんて、来なくてもかまわないんですよ」
 電話の向こうで、そのお母さんは相当にうろたえ、職員室でそんなことを言って大丈夫かと心配さえしてくださったが、ほどなくその生徒は「シューレ」に通うことを選び、3学期になると学校の教室に復帰。連絡進学で高等学校に上がることは希望しなかったが、クラスメートとともに義務教育を終え、その後はサポート校に進み、大学入学の資格を手に入れたのだった。
 もうひとりは、狭い意味での生活指導を受け続けている生徒だった。学年の会議でもたびたび話題になり、不登校の原因はいわゆる怠惰であり素行不良であるということになっていた。学年の意向を受け、私はその生徒にこう言い続けたのである。
 「学校くらい、来なくてどうする」
 ある日、その生徒は思いがけぬことから大きな生活指導上の注意を受けることとなり、結局、連絡進学で高等学校に上がることはできなくなってしまった。体のいい退学処分である。あの学校に残ったところで幸せだったのかはわからない。けれど、私が違う姿勢で彼女に接することができていたら、彼女自身がもっと違う未来を描くことができていたのではないかと思ってしまう。今も私の胸を離れない痛恨の一事である。