陽炎が揺らめく街を思う

 広島を最初に訪れたのは高等学校の2年生になろうとする春休みのこと。O君と二人で果たした「義務としての旅」だった。
 明るい陽の差す美しい街というのが第一印象だった。以来、何度もこの街を訪れているが、今もそのたびに空の大きな明るい街だと感じる。
 その日、市内電車に乗り「原爆ドーム前」の電停で降りようとすると、車窓の外にドームの姿が見えた。公園のような森のようなところの奥深くにあることを勝手に想像していた高校生の僕は、繁華街の外れ、人々の行き交う場所に建っているその姿に軽い衝撃を覚えたものだった。
 思えば、美しく整備された平和記念公園のある場所も、中島本町・材木町・天神町・元柳町・木挽町・中島新町といった名のかつては大いに賑わった町域であった。生涯に一度訪れては見物して帰る者たちと、そこに暮らし続ける人々との決定的な意識の違い。それに気付かされたとき、僕のこの街に対する心持ちの置き場所を決めることができたような気がする。
 8月6日。この日は確かに特別な日だけれど、この日だけ非核や平和のことを考えればよいというわけではない。義務としての旅というものがあるのならば、それを続けることに意味を見出したいと思う。