花火をfireworksと訳して事足りたとするわけにはどうしてもいかないのです

 千住の花火の宵はK先生と。人混みを避けるつもりで町屋の「亀田」で飲み始めたが、結局、花火の始まる頃には千住に出て来てしまい、串煮込みの「藤や」でケーブルテレビの画面を見ながら音だけは生で12,000発を楽しんだ。
 街には浴衣姿のお嬢さんがあちこちに。このところ浴衣の帯の位置が低すぎやしないかとずっと思っていたのだが、最近のトレンドは「高め」なのだとのこと。さすが、奥さんが銀座の百貨店にお勤めのK先生の情報は新しい。道をゆくお嬢さんたちを見て、K先生は「あれくらいが標準」と言うのだが、私にはどうにも低く思えてならず、「低い」「高い」で静かなバトル。K先生とこんなに意見が合わなかったことはかつてなかった(笑)。
 K先生が「標準」というところから1センチ5ミリから2センチほど上げてもらえると私の好みなのだが、世間のお嬢さんたちが私の好みに合わせる必要はまったくないわけで。ただ、今年のトレンドは「高め」なのだから、それを意識したお嬢さんが増えれば私の気持ちは満たされるのである。で、結局のところ、千住に集まったお嬢さんたちの間ではトレンドの「高め」は実現できていないことが確認された次第。
 もっとも、胸の豊かなお嬢さんたちには「高め」は厳しいことなのだが、昔はそういう人たちはさらしを巻いたりもしたのだし、浴衣を含めた和服を着るときには少々我慢しなさいと申し上げてもおきたい。しかし、さらしを巻く必要のないお嬢さんたちが好みなのかと問われれば、それは別問題と答えざるを得ないような事情もあり、そのあたりがこの問題を少しく複雑にしている。
 花火の日に千住にいるのは何年ぶりのことか。千住の花火は今年が31回目だそうだが、復活したのは中学2年のときだった。尾竹橋の上、Yさんのお父さんが僕を家に送ってくれるクルマの窓からYさんと一緒に眺めたことをよく覚えている。記憶力の良さは、ときに壮年を苦しめるのである。荒川の土手に腰をおろして見物したのは第3回のこと。中学時代の生徒会の仲間と連れだって出かけたのだった。本当は、その中のOさんと2人で出かけられればよかったのだけれど、純情を絵に描いたような高校1年の夏の思い出である。